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おタクの恋 ブログ版 1-3 [小説]

1-3

 彼女が一年生の校舎に入って行くのを確認して校庭を横切り、三年の校舎に向かう。 
 大江戸高校のモスグリーンの校舎はコの字形をしていてそれぞれの辺に各学年が分かれている。
右翼が二年生、左翼が一年生、そして中央部が三年生。
校舎の裏にはグランドと体育館そしてプールがあり、古いながらも充実した設備を持っていた。
都立高校としては珍しくスポーツ教育も盛んで昨年の夏、野球部は都のベスト8まで残った。
準々決勝では優勝した体育系私立高校にコールド負けを喫している。才能だけでは優勝はできない。
練習量や予算や集められた選手の数がものを言うのだ。

 ちなみに海宮は写真部に入っている。
都立の運動部の練習量などはたかがしれていたが、それでも海宮の趣味には大いに負担になるので必修のクラブ活動には文化系サークルを選択したのである。
もちろん写真が彼の趣味というわけではない。
 そして、彼が運動を苦手にしているというわけでもない。
海宮は趣味の充実のために体を鍛える必要があったので合理的な体力トレーニングをひそかに行っていた。
だから海宮はほっそりとした体型からは伺えきれぬパワーを秘めている。

 彼は顔見知りの生徒たちに紛れて廊下に掲示された新しいクラスの編成表から自分の名前を見つけだし、教室へと足を運ぶ。
 3年F組はすでに喧噪に満ちていた。
海宮は教室に入ると窓際の最後部の座席に腰掛けた。
彼はクラスメートたちの顔ぶれを観察し、それが彼のほぼ予想通りのメンバーであることを確認する。
 大江戸高校は成績別クラス編成を実地している。
各学年はAからJまでの十クラスで構成されているのでF組は中の下といったランクに位置する。
もともと勉強を苦手とするタイプのいない学校でこのランクに位置するのは何かの事情があってのことである。
例外として高校受験時にラッキーで入学し、その後、ガリ勉くんと化してこのクラスに昇りつめたものもいたけれどクラスの大半はそうではない。
 彼らは海宮と同様に勉強より趣味に走っていた。
趣味が忙しくて勉強なんかしてるヒマないもんね。
でももともと頭がいいからI組やJ組には落ちようがないんだもんね。という感じのガリ勉くん泣かせのメンバーが揃っている。

 教室の後ろの入り口から大柄な男子生徒が足を忍ばせて入って来た。
彼の名前は大嶺康生だ。
一八〇センチの巨漢だが、ゴリラというイメージではない。
顔全体にネコ科の印象がある。目を細めると特徴はさらに明らかになる。
ライオンの顔なのだ。彼は目だけで教室内をぐるりと見渡し、海宮の後ろ姿を発見すると口元に笑みを浮かべた。
 獲物を見つけた喜びの表現。
 しかしその鼻からは鼻毛が一本だけ伸びていてちょっと間抜けだった。
 間抜けながらも大嶺はひっそりと海宮の背後に接近していく。そして無言で海宮の腰掛けているイスをキックした。
 蹴り倒されたイスは引っ繰り返った。けれど海宮は考える人のポーズでバランスを失わず何もない空間に腰掛けていた。
 軽く舌打ちした大嶺は次にニヤニヤ笑いを浮かべる。
 海宮は片手で転がったイスを拾いあげ、座り直してからふりかえった。

「いきなり何すんだよ」
「バーカ。ウミちゃんよ。またオタクと一緒のクラスかと思うとうれしくてさ」
「うれしいからって人の座っているイスを蹴り飛ばすなよ」
「春休みの間になまってんじゃないかと思ってさ」

 大嶺は海宮と視線を交わすと隣の席に腰を下ろした。
そして迷彩色のサブ・バッグから雑誌を取り出してパラパラッとページをめくる。
読みかけの記事を探りあてたらしく海宮の存在など忘れたように読書に没入してしまう。
 海宮はその雑誌『月刊軍事・第2次湾岸戦争総力特集号』の表紙をチラリと見る。
 大嶺も海宮と同様に趣味に走っている一人だった。
彼の趣味は「軍事」である。

 大嶺は入学当初から進学の第一志望が防衛大学という変わり者だった。
特に軍産複合体について造詣が深い。
彼は日本のどの企業がどういった軍事グッズを開発しているのか。
それはどの国のどの軍部の依頼によるものなのか。
研究開発を担当しているのは誰か。その人物はどこに住んでいるのか。
家族は何人か。
その子供の好物は何か。
そうしたことを調べあげるのが好きだった。
 もちろん「軍事オタッキー」であるからには戦史にも詳しいし、現代の各国の軍事バランスについても研究している。
最新兵器のデータも把握しているし、可能な場合はそれを試用していたりもする。
なぜそんなことをするのかといえば戦争そのものが大好きだからなのである。
はっきり言って物騒な趣味といえる。
 ところが彼の両親は平和運動家だった。

 当然のことだがこの親子は確執を抱えている。
 海宮は大嶺について同情三十パーセント、好感三十パーセント、困惑三十パーセント、その他十パーセントといった気分を持っている。
 同情は両親の平和運動が全く成果をあげないだろうことを見極めている大嶺の子供としての絶望感に対するものであり、好感は絶望しつつも目標を持って生きるというそのたくましさに、困惑はだからといって逆に向かって走らなくてもいいのではないかと感じるからである。
 残りの十パーセントには様々な心情が交錯する。
それは友情だったり、愛情だったり、憎悪だったり、嫌悪だったりいろいろだ。

(つづきはこちら)→http://blog.so-net.ne.jp/kid-blog/2007-04-15


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