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さよひめ戦記535 010 [小説2]

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暗闇と静寂が人々の心を支配した。

スガルが走り出そうとして足を止めた。

小夜姫が一人で闇の中から歩み出たからだ。

「姫様」

スガルは一度止めた足を踏み出し、小夜姫に駆け寄った。

狭手彦は囁いた。

「角、稚室に知らせて警戒させろ」

「あのものたちに追っ手は・・・」と角が振り返って言う。

「この闇夜では危険だ。朝まで待つ」

そう言うと狭手彦は角が広場に走り去るのを見定めてから小夜姫を見た。

少女は今まで喉元に刃を突き付けられ、人質に取られていたことが・・・まるで嘘であったように落ち着き払っていた。

「スガル」と小夜姫は可憐なな声で言った。「このものを葬ってあげましょう」

それから狭手彦と目を合わせると静かに礼をした。

夜の闇の中で白い衣を着た小さな少女が狭手彦の瞳に・・・きらぎらしくクローズ・アップされた。

狭手彦は息を飲んだ。狭手彦とて童ではない。従兄弟の稚室ほどではなかったが、すでに女を知っている。しかし、突き上げる思いが高まる。その思いが恋情とは気付かぬほどに少女は狭手彦の心を捕らえていた。

「耶麻人の将軍よ。剣の血を清めたまえ」

少女は威厳を漂わせ、当然のように狭手彦に命じた。

狭手彦は狼狽して鮫の血のしたたる己の剣を見た。姫の命を救ったことよりも神聖なものの前で汚れた失態を演じたという思いに彼は襲われていた。

いつの間にか・・・狭手彦の前に婢が水を湛えた器を差し出していた。

狭手彦が剣を水につけると・・・婢は布で剣を洗う。

間もなく少女の指図でかりそめの弔いの儀式が行われ、その間に大伴の兵たちは警戒の配備についた。

月が高く上がったころ、狭手彦は小夜姫の小屋にただ一人招かれていた。 

少女の左右には石動の兄弟・・・スガルとアキツが座している。

小屋の四隅に明かりが灯され、その炎の揺らぎに浮かびあがる小夜姫の顔は・・・狭手彦にますます神秘的な印象を与えていた。少女が神々しいことが狭手彦をひどく悲しくさせた。

この姫と二人きりになりたいと狭手彦は強く願っていた。

しかし、そんな心と裏腹に耶麻人の将軍として、小国のものに対する態度を崩せない狭手彦の立場があった。

「姫の命に障りなく幸でした」

「危ういところをありがとうございました」

だが、小夜姫の表情には取り立てて感謝の色はなかった。

狭手彦はお互いの立場をはっきりとさせる必要に迫られた。

「末羅の国に姫のような方がいるとは知りませんでした」

「末羅は祭りの地。倭のような国とは国の在り方が違うのです」

「姫が末羅の王なのですね」

「この地に王はありません」

「ではこの地は誰が支配しているのですか」

狭手彦は小夜姫に率直に問いかけた。

「誰かが誰かのものになるというのは一つの考え方にすぎません。汝の国にそれがあり、末羅の国にそれがない‥‥‥」

「しかし外の国から攻められたらどうなるのです」

「倭王は末羅を攻めなかった。耶麻人は攻めますか?」
 
狭手彦は言葉につまった。

「それは」小夜姫が狭手彦の心を読んだように言う。「耶麻人王のお考えになることですね。汝は将軍・・・」

狭手彦は赤面しながらも肩の荷を降ろしたような気がする。海の外の倭軍を制圧した後で末羅の国の処遇も問題となるだろうがそれはまた先のことだ。

小夜姫は狭手彦の目を見据えながら言葉を続けた。

「将軍をお呼びしたのは忠告がしたかったからです」

「忠告?」

「将軍は命を狙われています」

「確かに倭の残党は・・・」

「いいえ、先ほどのものたちではありません」

「まだ他に・・・何者であろうか・・・」

「将軍のお味方です」

「何・・・味方とは・・・」

「その者は将軍を殺し、罪を篠原の村のものに被せようとしています」

「誰がそんなことを・・・」

「将軍が死ねば韓津に残る耶麻人の兵たちが黙っていないでしょう。そうなれば末羅と耶麻人の間に痼ができます。多くの無益な血が流される。それを喜ぶものがいます」

「なるほど」と狭手彦は物部荒梛の顔を思い浮かべた。

「だから」と小夜姫は諭すように言う。「将軍には注意していただきたいのです」

小夜姫が・・・耶麻人の内情に詳しいことに狭手彦は不審を感じなかった。

神の巫女が何を知っていても驚くことはできない。

狭手彦は目の前の少女に激しく欲情しながら・・・神への畏怖を同時に感じている。

つづく
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