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さよひめ戦記535 011 [小説2]

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「耶麻人の軍はここに長くは止まらぬ。戦の占いさえ済めば、すぐにでも海を渡る」

狭手彦は様々な想いを押し殺して告げた。

「戦の占いは・・・妾がいたしましょう」

小夜姫は微笑んで答えた。

「姫が・・・」

「はい・・・明日、日の出とともに祭りの山に参ります」

「祭りの山・・・」

「昼前には占いは終わります」

「姫が一人でいくのか・・・」

「汝と・・・共に参りましょう」

儀式めいたことを好まぬ狭手彦だったが・・・小夜姫と行動を共にすることに喜びを感じる。

「姫は・・・神の末裔なのか・・・」

「そのように教えられ・・・育ちました」

「戦の占いで・・・吉凶を占うのか」

「お望みなら・・・ただ戦の占いが示すのは・・・日取りの善し悪しです」

「それは・・・」

「海を渡ることは・・・すでに危うきことですから」

「吾は戦の占いなど信じない。河内にも巫女はいたが、自分の身の行く末も知らぬような者ばかりだった」

「姫様の占いは決してはずれない」

声高く言ったのは蜻蛉(アキツ)だった。

自分と姫以外に石動の兄弟がいたことを失念していた狭手彦は驚いた。

「黙っていなさい」と小夜姫は少年を叱り、狭手彦に視線を戻す。「童のことです・・・気になさらぬように」

「いや・・・」と狭手彦は蜂(スガル)に顔を向けた。「この若者にも不思議な術を見せられた・・・姫もそのような術を持っているのか」

「妾はただ・・・影見の山で日神子様にお尋ねします」

「それは・・・末羅の神か・・・」

「日神子様は・・・昔からおられる神・・・昔は皆が日神子様の声を聞くことができたのです」

「吾は神の声を聞いたことはない」

「忘れているだけです」

「忘れた・・・」

「この世のすべてのものは声を発します。人はもちろん・・・鳥や獣だけでなく・・・草花も木々も・・・風の歌・・・海の歌・・・」

「我はそのような歌は聴かぬ」

「人がものに縛られし時・・・魂もまた戒められ・・・その目は閉じられ・・・その耳は塞がれたと教えられました」

「・・・我の耳が塞がれていると・・・」

狭手彦は神がかりをしたような小夜姫にいぶかしいものを感じる。

「将軍は・・・先程・・・部屋の中に敵がいることを殺気として察したのではありませんか」

「・・・」

「目に見えぬものはあるのです・・・壁の向こうに人の気配を感じることはその名残り」

「・・・姫は・・・それを誰に教えられたのか」

「日神子様がお話してくだされた・・・」

「ふむ・・・我もその日神子様と話してみたいものだ」

「明日・・・お話になられるでしょう」

「なんと」と狭手彦は驚きよりも恐怖を覚えた。「神が我と話すというか」

「妾がお伝えします」

「・・・そういうことか」

狭手彦は落胆しつつ肩の力を抜いた。

「・・・将軍の手はすでに血で汚れています」

「そのようなものとは神は話さぬか・・・」

「いえ、語りかけても聞こえぬのです。八百万の神々は耶麻人王にも倭王にも争いを止めるようにと言葉を投げたはず」

「・・・」

「殺し合うから届かない。一度殺せばそれはきりなく続くもの。それ故に耶麻人の宮は今も血生臭い。将軍は今日も人を殺め、明日も人を殺める」

「・・・耶麻人の宮が血生臭いとな」

「耶麻人の奴王は病の身、鷹王子と猫(まがり)王子、そして春木王子のいずれが王になるものか。大伴も物部もそして蘇我も殺戮の後見人となろうとしていること」

「姫よ」狭手彦は目をすわらせて自分を押さえながらで言った。「宮から遠く離れたこの地でそのような内輪のことを汝はなぜ?」 

「ここが・・・神の棲む末羅の地なるがゆえ」

「それならば」狭手彦は自分を押さえかね、触れずにいたことに触れた。「倭の兵の忍び込んだこと。なぜに許したか」

小夜姫は静かに答えた。

「無事と知っていたからです」

狭手彦は沈黙し、そして礼をしながら立ち上がった。そして部屋を去り際に「姫様、ご忠告ありがたく受ける。それでは明日」と言い残した。

狭手彦は顔を紅潮させ振り向かずに部屋を出たが、もし、振り返っていればそこに狭手彦が去ることを不満とする小夜姫の瞳の色を発見し、さらに戸惑ったであろう。(つづく)

さよひめ戦記535 010 [小説2]

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暗闇と静寂が人々の心を支配した。

スガルが走り出そうとして足を止めた。

小夜姫が一人で闇の中から歩み出たからだ。

「姫様」

スガルは一度止めた足を踏み出し、小夜姫に駆け寄った。

狭手彦は囁いた。

「角、稚室に知らせて警戒させろ」

「あのものたちに追っ手は・・・」と角が振り返って言う。

「この闇夜では危険だ。朝まで待つ」

そう言うと狭手彦は角が広場に走り去るのを見定めてから小夜姫を見た。

少女は今まで喉元に刃を突き付けられ、人質に取られていたことが・・・まるで嘘であったように落ち着き払っていた。

「スガル」と小夜姫は可憐なな声で言った。「このものを葬ってあげましょう」

それから狭手彦と目を合わせると静かに礼をした。

夜の闇の中で白い衣を着た小さな少女が狭手彦の瞳に・・・きらぎらしくクローズ・アップされた。

狭手彦は息を飲んだ。狭手彦とて童ではない。従兄弟の稚室ほどではなかったが、すでに女を知っている。しかし、突き上げる思いが高まる。その思いが恋情とは気付かぬほどに少女は狭手彦の心を捕らえていた。

「耶麻人の将軍よ。剣の血を清めたまえ」

少女は威厳を漂わせ、当然のように狭手彦に命じた。

狭手彦は狼狽して鮫の血のしたたる己の剣を見た。姫の命を救ったことよりも神聖なものの前で汚れた失態を演じたという思いに彼は襲われていた。

いつの間にか・・・狭手彦の前に婢が水を湛えた器を差し出していた。

狭手彦が剣を水につけると・・・婢は布で剣を洗う。

間もなく少女の指図でかりそめの弔いの儀式が行われ、その間に大伴の兵たちは警戒の配備についた。

月が高く上がったころ、狭手彦は小夜姫の小屋にただ一人招かれていた。 

少女の左右には石動の兄弟・・・スガルとアキツが座している。

小屋の四隅に明かりが灯され、その炎の揺らぎに浮かびあがる小夜姫の顔は・・・狭手彦にますます神秘的な印象を与えていた。少女が神々しいことが狭手彦をひどく悲しくさせた。

この姫と二人きりになりたいと狭手彦は強く願っていた。

しかし、そんな心と裏腹に耶麻人の将軍として、小国のものに対する態度を崩せない狭手彦の立場があった。

「姫の命に障りなく幸でした」

「危ういところをありがとうございました」

だが、小夜姫の表情には取り立てて感謝の色はなかった。

狭手彦はお互いの立場をはっきりとさせる必要に迫られた。

「末羅の国に姫のような方がいるとは知りませんでした」

「末羅は祭りの地。倭のような国とは国の在り方が違うのです」

「姫が末羅の王なのですね」

「この地に王はありません」

「ではこの地は誰が支配しているのですか」

狭手彦は小夜姫に率直に問いかけた。

「誰かが誰かのものになるというのは一つの考え方にすぎません。汝の国にそれがあり、末羅の国にそれがない‥‥‥」

「しかし外の国から攻められたらどうなるのです」

「倭王は末羅を攻めなかった。耶麻人は攻めますか?」
 
狭手彦は言葉につまった。

「それは」小夜姫が狭手彦の心を読んだように言う。「耶麻人王のお考えになることですね。汝は将軍・・・」

狭手彦は赤面しながらも肩の荷を降ろしたような気がする。海の外の倭軍を制圧した後で末羅の国の処遇も問題となるだろうがそれはまた先のことだ。

小夜姫は狭手彦の目を見据えながら言葉を続けた。

「将軍をお呼びしたのは忠告がしたかったからです」

「忠告?」

「将軍は命を狙われています」

「確かに倭の残党は・・・」

「いいえ、先ほどのものたちではありません」

「まだ他に・・・何者であろうか・・・」

「将軍のお味方です」

「何・・・味方とは・・・」

「その者は将軍を殺し、罪を篠原の村のものに被せようとしています」

「誰がそんなことを・・・」

「将軍が死ねば韓津に残る耶麻人の兵たちが黙っていないでしょう。そうなれば末羅と耶麻人の間に痼ができます。多くの無益な血が流される。それを喜ぶものがいます」

「なるほど」と狭手彦は物部荒梛の顔を思い浮かべた。

「だから」と小夜姫は諭すように言う。「将軍には注意していただきたいのです」

小夜姫が・・・耶麻人の内情に詳しいことに狭手彦は不審を感じなかった。

神の巫女が何を知っていても驚くことはできない。

狭手彦は目の前の少女に激しく欲情しながら・・・神への畏怖を同時に感じている。

つづく

さよひめ戦記535 009  [小説2]

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二人が立ち去ったころにはスガルが狭手彦たちのもとへ呼び出されていた。

「イスルギのスガルと申します」と長が紹介する。

「この若者が器を走らせたか」

「それは」とスガルが答える。「おそらく弟の仕業でしょう。近頃、悪戯が過ぎるのです。後で叱っておきます」

「いや、どのようにして器を」

「石動(イスルギ)の兄弟は神に仕え、そのお守りをする一族です」

 長がスガルにかわって言う。

「その名の通り、石を動かします。しかもそれに触れずに」

「器もか」

 答えがないので狭手彦は焦れたように言う。 

「何かやってみせてくれ」

「おのぞみなら」

 スガルは広場の中央のたき火を指さした。

 たちまちその炎が輪を描き始める。次にその火の輪は広場に流れる音楽に合わせて左右に揺れ出した。

「火が踊っている」

 叫んだのは佐伯部角だ。その頃には人々の目は中央で踊る火の輪に注がれていた。しかし、驚いて目を丸くしているのは耶麻人の者たちだけで、村人たちは面白い余興が始まったという顔付きだった。

 やがて火の輪は一際高くジャンプすると八方に火の粉を散らして砕け散った。村人たちは歓声を上げる。

「一体どこで今のような技を」

 狭手彦の問いかけにスガルは困ったような顔で答えた。

「石動の一族のものは言葉を覚える前に物を動かすので」

「生まれつきというわけか」

 狭手彦は考えこんだ。

「このような技を皆が使えるのではこの国はうかつに攻められぬな」

「炎でせめられたらたたまらんわ」

 いつ来たのか稚室がつぶやいた。怪異な火の舞いに耶麻人軍の兵たちは狭手彦の元へと集い出している。

「これは遊びが過ぎましたな」

 長がわびるように言った。

「確かに」

 狭手彦は無理矢理笑顔を作り不安そうな兵たちに告げた。

「皆の者、うろたえるな。これは、その、末羅の国の神の技だそうだ。席に戻って酒を飲め」

 狭手彦に落ち着いた声で命じられ、兵たちは席へと戻り始める。

 兵たちが静まるのを見守ってから、狭手彦は長に向き直った。そして小声で言う。

「吾も恐ろしいわ」

「見事におさめられましたな」

 そう答えた村長の声に狭手彦はこれまで柔順と映っていた態度が実は余裕ある者のそれであったことを感じとった。

「なるほどこの国は侵せない」

「古い国なのです」と村長は念を押すように付け加えた。「争いは好みません」

「長様」と狭手彦は篠原の村長に恫喝されているような気分を味わいながら言った。「先程、姫様と会わせてくださるとか」

「はい」と村長は笑みを浮かべて頷く。

「早くお会いしたいのだが」

「それでは」と長は立ち上がった。「参りましょう」

「稚室」と狭手彦は立ち上がりかけた従兄弟を制して言った。「角と文人を連れていく。兵たちを見ていてくれ」 
 狭手彦たちは広場を後にして、小夜姫の小屋へと足を運んだ。

「どちらへ」と後を追いかけて来たのは荒梛である。

「末羅の姫様の宮へ」と答えたのは村長だった。

「それならば」と荒梛は狭手彦に同行を申し入れた。狭手彦が村長を見ると彼は承諾の意を示した。

 狭手彦は胸に緊張を感じていた。占領下の国の小さな村にやってきたつもりがそこは怪しい別世界だったのだ。炎のようにこの身を自在に操ることもできるのかとも考え、戦を生業としてきた狭手彦にはツガルの示した技の威力が重くのしかかる。狭手彦はたまりかねて村長に話しかけた。

「あのような力があれば倭の国を攻めることもできたのではないか」

「攻める?」と村長はゆっくりとした口調で問いかけた。「攻めてどうするのです?」

「どうすると言われても」

「この村は豊かで飢えの恐れもありません。他の国に攻められ、恨むこともありません。他の国に攻め入る必要がないのです」

 狭手彦はその言葉に納得はできなかったがそれ以上言うべき言葉もなかった。

「こちらに」

 狭手彦は村長に促されて小夜姫の小屋に到着したことに気付いた。小屋へ通じる階段に足をかけた瞬間、狭手彦は前方に立ち込める殺気を感じた。習慣的に剣に手をかけると階段を一気に駆け上がる。縁に止まり剣を抜いた途端、小屋の戸が開き、何者かの剣が突き出された。その剣を狭手彦が自分の剣で跳ね上げる。一撃をかわされた者は小屋の中に後ずさった。狭手彦は進むことが出来ずに立ち止まる。

 小屋の中には油火の明かりがあり、見える限り、二人の男と一人の少女がいた。少女は喉に剣の刃をつきつけられている。扉の影に三人目の敵が潜んでいる気配を感じ取り、狭手彦は部屋の中に踏み込むことができないのだった。先程剣を突き出した男が再び前に出てくる。仕方なく狭手彦は後退し、階段を降りる。今度は縁に男が飛び出した。

 続いて、やはり隠れていた男が現れた。大男だった。最後に女に剣を突き付けた痩せた男も小屋を出た。

「姫様」

 ツガルが叫んだ。

 三人の男は階段を降り、村の外へ向かう側へと移動し始める。

 先頭の顔に傷のある男が言った。

「そこにいるのは耶麻人の兵か」

「大伴狭手彦だ」

 男は闇の中でニヤリと笑った。

「それでは将軍か。何と運の良いことよ」

 男は狭手彦たちを値踏みするように見た。

 佐伯部角と吉士文人は長剣を抜き、スガルも短剣を構えている。

「村の様子を探ろうと忍び込んだと思えば、耶麻人の将軍がそちらからやって来ようとは思わなんだ。良いか。声をあげたらこの姫は殺す。吾は倭の大王に使えた祝鮫(イワイのミヅチ)。その首落として大王に捧げる」

「勝負しようというのか」

 祝鮫はその問いに答えず、剣を構えて進み出た。

 前へと佐伯部角が進み出るのを狭手彦は片手で制し、祝鮫に向かって静かに言った。

「待て。吾も兵だ。汝と剣を交えるのは厭わぬ。だが、その娘は末羅の国のもの。勝負の後には放つと約せ」

「なるほど。吾もこの姫には恨みもない。そうしよう」

「角、文人。手出しをするな」

 言われて二人は剣を引いた。

 狭手彦と鮫はお互いに前進し、距離を詰める。先に足をとめたのは鮫だった。ほんの一瞬遅れて狭手彦も足を止める。そこに隙が出来、鮫は機会を捕らえて剣を突き出した。狭手彦は危うく剣を受け流し、右に回った。鮫は第二撃を打ち込む。今度は狭手彦に余裕がありその剣をかわすと反撃に出た。鮫の剣と狭手彦の剣が打ち合わされ、火花が散った。 二人は同時に相手が好敵手としての力量を備えていることを悟った。その気持ちのままに狭手彦が退くと鮫もまた退く。二人はぎりぎりの間合いで見つめあった。

「さすがは大伴の兵(つわもの)だ」

「汝も鮫(ミヅチ)の名に恥じぬ」

 再び鮫が先制した、今度は一撃で狭手彦が反撃し、息もつけない乱打戦になった。お互いに連続で技を出し、お互いに凌ぐ。実力は伯仲し、気力も互角だった。しかし、体力においてはわずかに狭手彦が勝っていた。

 一瞬の静寂の後、狭手彦の繰り出した剣が鮫の胸を刺し貫いた。

 鮫は顔をしかめたが、狭手彦を睨みつけ、そして背後の仲間を振り返り「果たせ」と言うと地面に倒れ込んだ。

 狭手彦がかがみこんた時にはこときれていた。狭手彦は静かに自分の剣を相手から引き抜いた。

「耶麻人の将軍(イクサのキミ)よ」 声をかけたのは大男の海鯨(アのイサナ)だった。「見事な腕だ。すぐにも相手をしたいが、祝鮫の約定がある。そこで待て。村の出口で姫を放つ。しかし汝の命はいつかもらうぞ」


そう言うと海鯨は後退し、姫を人質とした二人の男は闇の中に飲まれて行った。

つづき→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2016-04-01

さよひめ戦記535 008 [小説2]

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荒梛は微かに笑い、小さく頭を下げた。

「大伴の若き戦の君よ、汝の名は耳にする。その腕は海の外にもふるわれるだろう」

感情の無い言葉のやりとりがあり、狭手彦は用意された席についた。

長が短く神への祈りを言葉にすると静かに宴が開始された。

やがて酒が出て、音楽が始まる。

「よい楽師がいますね」

横に座った長に狭手彦は率直に言った。

「村の者は歌と舞が好きで、皆、楽器を習います」

打楽器と弦楽器が止み、笛の音が高らかに響き渡る。

狭手彦は心に和みを感じていた。

部下の者たちも村人と酒を酌み交わしている。

ただ忠義ものの佐伯部角だけが時折、周囲を窺っていた。

女に弱い従兄弟の稚室はすでに赤い顔で村の女を抱き込んでいた。

新しい料理が運ばれて来たので、手を伸ばそうとした狭手彦はふと物部荒梛と視線を合わせた。

荒梛は狭手彦に気付かぬふりで目をそらせたが、何やら不自然だった。

不審に思いながらも狭手彦が料理の入った器を引き寄せようとした刹那、その器がするりと地を滑った。

狭手彦は目を疑い、器を見据えた。

すると器はわずかに揺らぎ、そして鼠のようにするすると走り出した。

かなりの速度で人々の間を巧に擦り抜けた器は広場の外の暗闇にあっと言う間に姿を消した。

「どうかなさいましたか」

呆然としていた狭手彦は長の声で我を取り戻した。

「いや」

狭手彦はそっと周囲を見回した。

宴の人々はその出来事に気付かぬようにそれぞれ盛り上がっている。

佐伯部角さえもが村の若者と話に興じていた。

ただ荒梛だけが魂を抜かれたような顔をしていた。

その目は器の去った方向に見開かれている。

「気分が悪いのでは」

長は心配そうに声をかける。狭手彦はようやく答えた。

「何でもありません」

「それは良かった。宴の後で姫様とお会いいただきたいので」

「姫様というと」

「末羅の姫様です」

「末羅の国に王は無いと聞いたが」

「確かに」

「それで姫様とは」

「倭の国の王族はこの国にありません。それはこの国が倭の国土にはならなかったからです」

「なんと。それではこの国は倭の属国ではないと言われるのか」

「古の倭の札王の時代から」

「するとその姫様というのは」

「天照日神子様の末裔で小夜姫様と申されます」

「神の末裔‥‥‥」
  
絶句する狭手彦の後ろから会話に割り込む者がある。

「では先ほどの怪しい出来事は神様の悪戯ですか?」

後ろから声をかけられ狭手彦が振り向くとそこには吉士文人が控えていた。

「汝もあれを見たか」

「見ました」

長は何か思い当たったような顔で尋ねた。

「なにかおかしなことがありましたか」

「土の器が走っていった」

その器は暗闇の中に立つ蜻蛉の手に乗せられていた。

その器を覗きこんで蜻蛉は傍らの小夜姫に告げる。

「イクサノキミめ、驚いていましたね」

「蜻蛉よ、それを食べてだめよ」

「え」

「その煮物には毒が入っている」

「本当ですか」

「汝の兄様が知らせてきたのです」

「誰がそんなことを」

「先に来た客人の一族のものが」

「だって味方同士でしょ」

「いいえ。とにかくそれをどこかに捨てておいで。

先に小屋に戻っています。まもなくあの将軍を長様が案内してくるから」

そう言って小夜姫は自分の小屋へと歩き出した。

つづき→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2013-03-28

さよひめ戦記535 007 [小説2]

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部下の報告を聞き、忌ま忌ましげにつぶやいたのがその男。物部荒梛。
物部一族は古くからの豪族で、倭王権が確立する以前には畿内に王朝に近い勢力を築き上げていた。
倭の王族の支配下に入ってからも重要な役割を果たして来ている。
その実力は倭に従軍していた大伴一族や移民による新興勢力の蘇我一族よりも勝っている。
物部一族が耶麻人王の反乱軍に積極的な参加を決めたのもそういう背景があった。

大伴や蘇我を耶麻人大王との同盟に応じさせて、耶麻人軍団ともいえる強力な勢力を出現させる仕掛け人にもなった。
耶麻人王朝がこの列島を制圧したとき、ナンバー・ツーの座は彼ら物部一族に約束されていたのである。

ところが一族の指導者である物部麁鹿火の戦死により狂いが生じた。
後継者が無能だったのである。

麁鹿火の一子荒鉾(アラホコ)は占領した築道の地で暴政を行った。
降伏した者たちを虐殺し、村落を焼き払った。
占領地は不具となった者、家を失った者の呻きと恨みで満ちた。
誰よりもこの苛酷な占領政策に恐怖を覚えたのは倭の大王家の降伏者たちだった。
火王や豊王が運動し、耶麻人大王はついに占領司令官の交替にふみきった。
即ち、物部荒鉾の解任と大伴軍団の派遣である。
その結果筑道の宮では狭手彦の兄、大伴磐彦が新たな司令官として耶麻人軍の統率と占領地の新秩序の確立を図ることとなった。
当然、物部一族には不満が残ったが、それを露呈するだけの実力が荒鉾にはなかった。 
その結果、大伴一族と物部一族のひそかな対立が始まったのである。

荒梛(アラナギ)はその荒鉾の弟だ。彼はその吊り上がった細い目を見開き、誰にともなくつぶやいた。
「大伴は何かを嗅ぎ付けたか」
「いえ、そうとは思えませぬ」
答えたのは女だった。黒い衣を身にまとい、どこか不気味な気配を漂わせている。
「大伴は所詮は新参者。この地の秘密などには気付くすべもありませぬ」
「では、なぜここへ」
「おそらく、古の例にならって戦の吉凶を占うためにかと」
「なるほど、しかし、・・・それならば惜しい」
「なにがでございますか」
「あれが見つかっておれば大伴の小伜に痛い思いもさせてやれように」
荒梛はでっぷりとした体をいらだたしげに揺すった。
「ご安心を。さして広い山でもありませぬ一族の者がまもなく戻るでしょう」
「鬼子(オンコ)よ。確かであろうな」
「遅くとも明日の夜までには」
鬼子と呼ばれた女は目に怪しい光をためて荒梛を見つめた。
彼女は物部の支族である采女部の者で巫女の一人であった。
大伴は単に倭王権の軍事集団であったが、物部はかってはこの島の支配者であり、軍事力の他にもその内部に独自の生産体系や信仰をもっている。
その中には倭王朝にも知られていないいくつかの秘密がある。
その隠された知識を基に彼らはこの地で何かを探索しているらしい。
「しかし、あの憎い顔を見て、何もせずにいるのも腹が立つぞ」
「今宵は歓迎の宴があるはず」
采女部鬼子は静かに告げる。
「毒などを試してみてはいかがでしょう」
「毒か」
荒梛はしばらく考え、頷いた。
「毒は何を使う」
「魚の毒を」
「河豚か」
荒梛の顔に残忍な笑みが浮かんだ。
そこへ篠原の村の女がやってきて宴への呼びかけをしたので一同は立ち上がり、荒梛を先頭に外へ出る。
すでに夕闇は深く、空には星が出ていた。

狭手彦たちの一行は村の入り口にさしかかっていた。
篠原の長と馬をならべて話を交わしながらの道行で狭手彦はこの初老の男とすっかり打ち解けている。
しかしわずかに狭手彦の表情は曇っていた。
「すると、吾よりも先に物部のものが村に来ていると」
「荒梛様は戦の終わりより、しばしばこの村を訪れなさる」
「長様は物部と大伴のことをご存じか」
「宮の長を交替なされたことを・・・でございますか」
「うむ・・・」
「物部様のやり様は、敵の片腕を落とし、両目をつぶすとか」
「耶麻人の大王はそのことで胸を痛め、吾の兄を遣わしたのだが、物部はそのことを忌ま忌ましく思っている」
それまで黙って聞いていた稚室が背後から口を挟んだ。
「狭手彦よ。話過ぎではないか」
部外者に内情を漏らし過ぎているというのだ。狭手彦は振り返り幽かに笑いながら言った。
「村長様に事情を言っておいた方が、もしも何かあったときに話が早い」
村長が淡々とした口調で言う。
「篠原の村は争いを好みません」
「迷惑にならぬように気をつけよう」
目の前に火の明かりが見え、狭手彦たちは村に入ったことを知った。
「これは大きな村だな」
狭手彦は思わず口に出して言った。
「篠原は末羅の神の村ですから」
吉士文人が解説する。
「そして末羅の神は大きな神なのです」
「大きな神?」
「そうです。築道の国も、火の国も、豊の国も、そして球磨の国も統べる大神があったと聞きます」
「その神の名は」
「天照日神子様です」
「すると影見の山はその魂の宿るお山か」
「おそらく」
「篠原の長よ、文人の申すことは」
長は馬から降りて答えた。
「文人様は古を良く知るお人でございますな。村に伝わる言の葉はその通りかと・・・」
「なるほど」
狭手彦は文人の博識を頼もしく思いながら、愛馬白龍を降りた。
篠原の出迎えの者の指図で馬たちが移動し、剣を帯びた狭手彦たちは広場へ案内される。
「ささやかな宴に」と篠原の長が誘い、狭手彦は礼をして招かれた。
すでに広場には火が焚かれ、様々な食の器が並べられていた。
そして多くの村の人々が集っている。
そこに物部荒梛の顔を発見した狭手彦は心の中で舌打ちしながら挨拶に赴く。
荒梛は目上の者であるから狭手彦一行は跪いて先に発声する。
「物部麁鹿火様の血を伝える方よ。河内の宮からはるか遠いこの地にいたり、お目にかかれて幸です」

つづき→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2010-05-26

さよひめ戦記535 006 [小説2]

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そこへ敵(あた)がやってきた。彼らの生に方向性をあたえるものが。

「あの軍には随分と倭(イ)のものたちがいるようだ」

骨が見えるほど痩せた安致細蟹(アチのササガネ)が誰にともなく言った。

「蛆虫め」

弓の名手で顔に傷のある祝鮫(イワイのミヅチ)が吐き捨てるように言う。

「おめおめと耶麻人などにくだりおって」

外交官であり、教養の高い細蟹がわびるように応える。

「仕方あるまい。家族を人質にとられておるのだろう」

「人質になるようなもの。一族とは思わぬ」

祝鮫は体を震わせた。
力自慢で人馬を一太刀で切り殺したことのある大男の海鯨(アのイサナ)がうっそりと言う。

「敵が動いた」

耶麻人の軍は分散し、狭手彦の率いる一隊が土地の長とともに川に沿って移動を開始している。
細蟹が首を伸ばす。

「あれはきっと篠原の村に行くのだ。行って戦の占いをするのだろう」

「ならば、身分のあるものだな」

「おそらく」

「それにしては人数が少ない」

「腕に覚えがあるのだろう」

「ふん。賊の技などたかが知れている」

そう言って祝鮫は弓を握りしめた。

「吾は奴らを追う」

身をかがめて歩き出した鮫に痩せた男と大男は黙って従った。
こうして三組の人々が別の道筋で篠原の村へと動き出した。

狭手彦たちは戦の占いをするために。
鮫たちは敵を殺すために。
そして小夜姫と蜻蛉(アキツ)は自分の家へ帰るために。

その頃、獲物を抱えた石動蜜蜂(イスルギのスガル)は篠原の村に戻っていた。
先触れが来て、耶麻人の軍が村に寄ることを告げたため、村人たちはもてなしの宴の準備に忙しい。

霊山である影見の山の麓、末羅の大川の上流に沿って広がった篠原は古い大きな村だった。
周囲は田園で家は千戸を越えている。
中心部は広場になっていて人々の集う場所である。
そこへ大量の食物が運び込まれ、客のための席が設けられつつあった。
蜂は広場に近い、一際大きな篠原の長の家の前に獲物の魚介類の入った網を降ろした。
そこへちょうど中年の女が現れた。
スガルを認めるとにっこりと笑う。

「石動の兄様、大漁だね」

「篠原の母様。今日はいい平目が捕れました」

「まあ、よかった。姫様の喜ぶ顔が目に浮かぶ」

「母様の好きな赤貝もありますよ」

「ほお。兄様も人の機嫌をとるようになったか」

村長の妻は若者をからかう。
そして家の娘たちに声をかけ、魚を運ばせながら、釜戸の小屋にスガルを誘った。

「今日はたくさんの客人があるので助かりました」

スガルはあたえられた豆菓子を食べながらほんの少し緊張した声で尋ねる。

「耶麻人の軍が来るのですか」

「そうです。でも先触れの話では人数は少ないようです」

「しかし、野蛮なやつらだと言うではないですか」

「ほほほ。何を心配しているの。姫様の御身ですか」

図星を指されてスガルの顔が赤くなる。長の妻は面白がって言った。

「でも兄様がいれば大丈夫でしょう」

スガルは答えに困って話題を変えた。

「そういえば先に来た客人たちの様子はどうですか」

「相変わらず。何をさぐっているものやら」

「長様と浜に行かなかったのですか」

「ええ。客の小屋にこもりっきり」

「しかし、同じ耶麻人の者なのでしょう」

「どうやらそうでもないらしい」

二人が噂をする先の客とは陰険な目付きをした太った男とそのお供の者たちだった。
今、彼らは村のはずれのあてがわれた家で密議をこらしているところだった。

「そうか。大伴の小伜はやはりこの村に来るか」

つづき→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2010-03-03

さよひめ戦記535 005 [小説2]

もどる

朝鮮半島南岸に発した騎馬民族の一つが海峡を南下し、征服を行ったのがつい百年ほど前のことである。

彼らはたちまち弓なりの列島のほぼ半分を制圧し、倭(イ)の王朝を開いた。
そして各地に王族を配置し、その勢力を拡大していった。
しかし、その制覇はつかのまのものであり、各地の王族たちは土着して、宗家である倭王朝に敬意を払わなくなっていった。

倭王朝は対馬を中心として朝鮮半島南岸と九州南岸に広がった海洋王国である。
北は朝鮮半島中部、南は九州全域、そして列島の東へと拠点を置いていた。
しかし、数世代を経て・・・各地の拠点は独立の気運を高めていた。

九州の南岸・築道に都する倭はその五代目の大王となった磐の時代についに滅亡する運びとなる。
倭王磐を打ち倒したのは反乱王と呼ばれる耶麻人王である。

木の国に生まれた耶麻人王は賊として各地を転戦、ついに尾張の国の倭軍を撃破。
好戦的な新王家を開く。
さらに北上して越の国に遠征。
これも打ち破ると、近江、河内の両王を降伏させ、その王権を纂奪して一大勢力に膨張したのである。

耶麻人王の反乱に対し、その初期において倭大王は実力で介入することができなかった。
それは朝鮮半島側の隣国である百済、新羅の勢力拡張が同様に激しく、内戦の余裕がなかったからである。 一方、耶麻人王は敗軍の将をその能力に応じて陣営に加え、軍事国家の建設につとめた。
これに応え、河内王家の大伴、物部、蘇我の一族は積極的にこの新王を支持するに至る。 
この時、大伴の族長金村は戦略の天才を発揮、外交によって百済との同盟関係を成立させた。
倭王朝の朝鮮半島領土を分割占領することを約したのである。
同時に政略結婚により出雲王家、吉備王家などを着々と耶麻人王の陣営に加え、対峙する倭大王家に圧力を加えていった。
業を煮やした倭大王は新羅と同盟することにより、百済を牽制するとともに勢力を結集。
反乱軍の討伐に乗り出した。

しかし、それは耶麻人王の望むところでもあった。

西暦五二七年夏、倭大王軍と耶麻人王に降った近江王軍が穴戸の国で激突する。
宗家の誇りに燃えた倭軍は初戦に辛うじて勝利をおさめる。
だが、この激戦ですでに戦力を半減した倭軍は続いて進発した物部麁鹿火を将軍とする耶麻人軍を前に撤退を余儀なくされ、戦場は本拠地築道の国へと移って行った。

圧倒的な軍事力を背景に王の王たる位、大王を宣言した耶麻人王は義兄となった吉備三尾角折王、義父となった出雲根和王、そして実子の鷹皇子のそれぞれが率いる三軍により侵攻を開始した。
さらに物部麁鹿火将軍指揮下の主力軍に築道の都を急襲させたのであった。
結果は耶麻人軍の圧勝。築道の都、祝の宮は耶麻人大王軍に占領された。

倭軍に残されたのは残った兵力を温存しながらの退却戦法だけとなった。

後退できるだけ後退し、耶麻人大王軍の補給線がのびきって兵糧不足に陥るのを待つ倭軍の残存兵。
しかし、この消極的な戦法は耶麻人軍を利するばかりだった。
まず、倭の葛子皇子が食料基地の一つ糟屋で降伏し、倭軍は山間部に押しやられる。
そして八女の砦への敗走中に謀反を起こした火武王と物部軍の挟撃に会う。
西暦五二八年冬の御井の合戦である。
この戦いで倭軍は壊滅的打撃を受け、倭王は筑紫山地を豊の国へと落ちのびていく。
まさに敗戦につぐ敗戦の連続ですでに王につき従うのは数騎のみであった。
そして最後に悲運の磐倭王を待っていたのは豊王の裏切り。
物部軍の追撃部隊に恐れをなした豊王は山里に身を隠した磐倭王に刺客を送り、倭奴の山で末子の宇美皇子もろとも倭の大王を暗殺した。
こうして事実上倭国は滅亡する。

森の中の三人はその倭国の軍人であった。
度重なる敗戦を生き延び、御井の戦で負傷し、友軍とはぐれて山に潜み、戦線復帰のためにその傷を癒していた。
それぞれが耶麻人の兵に親兄弟を殺され、もはや恨みは拭いきれず、心は暗く燃えている。
まして国の滅びた今、帰る家を失った彼らには希望がなくなっていた。

ただ復讐の念だけが胸を焦がす。

つづき→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2009-11-11
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さよひめ戦記535 004  [小説2]

もどる

海にそそぎこむ末羅の大川のほとりで会見が始まった。
                                
そこには末羅の国の主だった豪族たちが顔をそろえていた。
代表者は韓津の長(からつのおさ)と名乗った。
「倭(イ)の国を制した耶麻人の将軍よ。この地で何をお望みか」
「耶麻人に忠誠を誓う末羅の国の韓津の長よ・・・」
狭手彦は耶麻人軍の韓津におけるしばらくの駐屯とそれに伴う食料の調達を要求し、承諾を得た。
さらに付け加えて言う。
「この軍はその後、韓の地に渡り、対岸の倭軍と戦う。そのための戦の占いをしたいのだが‥‥‥」
末羅の豪族たちはしばらく相談して狭手彦に答える。
「戦の占いのお世話はこの篠原の長がいたします」
紹介されたのは初老の小柄な男だった。
狭手彦などよりよほど立派な大陸風の装束を身にまとっている。
そこで狭手彦は背後を振り返り、吉士文人(キシノフヒト)を呼んだ。

彼は医師で薬師でもあり、地理に詳しいことから狭手彦軍の案内役となっている。
文人は狭手彦の意を酌み答えた。
「篠原の村は末羅の国の神なる地に近いのです。おそらく巫女がいるのでしょう」
「なるほど」
頷くと狭手彦は篠原の長に了解の旨を伝えた。

この後、長老たちを待たせたまま狭手彦は参謀会議を開き、行動を決定する。
その結果、狭手彦は稚室とともに大川の上流にある篠原の村に五十騎ほどの手勢を連れて出発することになった。
主力軍と倭の敗残兵たちはベテランの牡鹿に率いられ、韓津の村に残留する。
狭手彦の決定に最後まで不服を唱えたのはその牡鹿だった。彼は心配そうな顔で言った。
「小さい若様。そのような小勢ではもしも倭の残党があった場合にお命が。
何かあればこの牡鹿は大連金村(おおむらじのかなむら)様に会わせる顔がありませぬ」
狭手彦は父親の名前を出されて照れながらこの忠義者の古兵に言う。
               
「その小さい若様はよせ。もはや吾(あ)は汝(な)よりも丈がある」
狭手彦は大伴大連金村の三男である。
牡鹿は嫡男を若様、次男を中の若様、そして狭手彦を小さい若様と呼ぶのであった。
「心配するな。何かあれば子犬のように逃げもどる。留守を頼むぞ」

狭手彦は稚室の他に世話役の角、案内役の文人、腕のたつ矢作部手麿呂(ヤハギベノテマロ)などを連れ、残留軍にしばしの別れを告げた。
 
さて丘の上に立つ少女はそれらの会話がすべて聞こえていたような顔で人々が散会する直前に松の木の少年に声をかけた。
 
「アキツよ。帰りましょう」
「もう、終わりですか」
蜻蛉(あきつ)と呼ばれた少年は初めて見る大軍勢を名残おしげに窺ってから、ひらりと飛び降りた。
音もなく着地する。
小夜姫はすでに松林の奥へ足を運んでいた。
蜻蛉はあわててその後を追う。
追い付いて少女の顔を見上げた蜻蛉はそこにいつもの小夜姫とは違う表情を見付けたような気がした。
しかし、それが何を示しているのかは分からなかった。ただ小夜姫は何かを思い詰めているようだった。
二人はしばらく黙って歩いた。
沈黙を破ったのはやはり幼い蜻蛉だった。

「兄様はどうだったかな」
小夜姫は夢から醒めたように答えた。
「そう。今夜の宴にはおいしい平目が出るでしょう」
そう言ってから小夜姫はふと足を停めた。
そして蜻蛉の腕を掴んで引き留める。
「どうしましたか」
小夜姫は声をひそめた。
「この道はさけなければならぬ」
「なぜ、近道ですよ」
「道をふさいでいる者がある」
蜻蛉の手を引くと小夜姫は足音を忍ばせて道を変えた。

夕日が空を染め上げていた。
森の暗がりが広がり始めた。
その闇だまりには三人の男がいる。 
彼らもまた耶麻人の軍の上陸を監視していた。
彼らの身なりは血で汚れている。
そしてギラギラと光る目で海岸の兵士たちがそれぞれの方向へ散って行く様子をじっと見守っていた。
圧し殺した声で痩せた男が言った。
「どうやら物部の軍ではないようだ」
額と頬に傷のある男が答えた。
「おそらく大伴の軍であろう。築道宮(ツクチノミヤ)に侵入した敵軍(アタ)だ」
一番の大男が言った。
「どうする」
傷の男が即座に言った。
「敵は敵だ。機を見て殺す」
痩せた男が言葉を継いだ。
「王の恨みを少しでも晴らすのだ」
この三人こそは倭の王の軍の残党であった。   
   
名を安致細蟹(アチノ ササガネ)、祝鮫(イワイノミヅチ)、海鯨(アノイサナ)という。
彼らはそれぞれが名族の出身であり、倭の大王家の重臣であった。
当然、倭王と耶麻人王との戦では倭王とともに戦い、そして敗残。
復讐の念にかられながら、この地へ落ちのびて来たのである。
倭国内乱。
それは倭の大王の権威の衰えと新興の耶麻人王の野心の膨らみにより、起こるべくして起こった戦であった。

(つづき)→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2009-09-05

さよひめ戦記535 003 [小説2]

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「耶麻の人の国は・・・辺境だからな・・・天の大国が強い国であった頃・・・倭(イ)の国は海を中心に・・・栄えていた」
小夜姫がりんとした声で小さく言った。
「末羅の浜はその都だったから・・・どうしても雅びる・・・それにくらべて・・・あの者たちは鄙びる・・・」
「田舎ものなのですね・・・」
少年の声に幼い者ゆえの侮蔑の調子が混じる。
小夜姫はあえてそれをとがめることをせずに言葉を継いだ。
「大陸の中原の都にくらべれば・・・この浜だって大田舎ですよ」
少年にはその皮肉は届かなかったようだ。
幼い眼差しは見たこともない大軍の上陸にそそがれていたのだ。

そんな眼差しを露とも知らず、耶麻人の将軍大伴狭手彦は上陸を終えた軍馬たちが目隠しを外される様を検分していた。
異国の少年に将軍らしくないと評されたとはいえ、屈強な兵士の中でも目立つほどに逞しい体・・・。
かすかに幼さを残す顔にも若やいだ精気が漲っていて・・・従う者をとりこむ魅力を感じさせる。
           
狭手彦の傍らに付き従う世話役の佐伯部角(サエキベのツノ)などは狭手彦を崇拝していた。
彼は幼い頃から狭手彦と共に育てられ、何度も英雄的な狭手彦の振る舞いを目撃している。
角は手下を配して・・・上陸作業の補佐をしながら・・・同時に狭手彦の身辺警護をしているのだ。
伝令の一人が角にかけより耳打ちをする。

「あちらから稚室(ワカムロ)様たちが」
角に言われ狭手彦が目を向ける。
人馬の群れの中から数人のたくましい軍人が馬に乗って近寄って来るところだった。
狭手彦は彼らが小声で語りあえるまでの距離に接近するのを待って話しかけた。
 
「倭〔イ〕の部民(かき)たちの様子はどうだ」
「今のところはおとなしいものだ」
答えたのは狭手彦よりもいくらか年上の大伴稚室である。
髭を蓄えている点を除けば顔立ちが狭手彦とよく似ている。
それも当然で二人は従兄弟同士だった。
稚室は狭手彦よりもさらに大柄だった。

耶麻人の国の武人の一族はその子弟に幼少から厳しい訓練を施す。
それはスパルタ式の教育であり、耐えられぬ者は死ぬ。
特に大伴は軍の頭領の一族であるためにそのしごきは苛酷を極めた。
彼ら二人の体格の良さは彼らがそこで生き残ったという証しにほかならない。

軍の上陸はほぼ終わり、整列が開始されていた。
それを馬上から眺めながら稚室がさらに声をひそめて言う。

「それにしてもあの連中はしばらく鍛え直さなければならん」                         
横からこの軍団の参謀たちの中で一番の年長者である久米牡鹿(クメのサオシカ)が口を挟んだ。
「まったく使いものにならん連中じゃ。
あのようなものどもを相手の戦なら眠っておっても勝ちが動かぬ。  
麁鹿火(アラカイ)もさぞや気楽な戦であったろうて」

稚室が苦笑を浮かべて古兵の言葉を諌める。
「そんなことを言うものではない。どこで物部の部民が聞き耳を立てているか分からぬのだ。口は災いの元というぞ」
狭手彦が言い足した。       
「物部麁鹿火の魂(たま)が墓の下で怒り出すぞ」
主筋とはいえ、年下の者にやりこめられ、牡鹿は不服そうに言いつのる。                       
「ふん。物部の者に魂などないですわい。あるのは悪霊(もの)に決まっておる」

「ともかく倭の国の兵たちは再訓練(しこみなおし)が必要だということだ」
稚室が話題を戻した。
頷いて狭手彦が言う。
「分かっている。だからこの末羅の国に陣を置いてしばらく時を過ごす」

そこへまた別の伝令の若者が走りこんで来た。
角が報告を狭手彦に伝えて言う。
「狭手彦様。末羅の国の長たちが挨拶に参ったそうです」
狭手彦が馬の首を巡らすとその一団が目に入った。
彼は一言「会おう」と言うと愛馬を進めた。
牡鹿を初めとする参謀たちも後を追う。

牡鹿が狭手彦に馬をよせつぶやく・・・。

「気を許されるな・・・ここは敵(あた)の地ですぞ・・・」

(つづき)→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/archive/20081219

さよひめ戦記535 002 [小説2]

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イスルギのスガルが漁をしていた海上のわずか北東にあるマツラのカラの浜。
洋上には幾隻かの大船が停泊している。
その周囲には数え切れぬ小船が群がっていた。
長く伸びた海岸線に耶麻人王(ヤマトノオオキミ)の海の軍(アマイクサ)が上陸行動を展開しているのだ。
千艘を数える小船が浜にこぎ寄せ、万を越す軍人たちが軍馬や物資を搬出している。
かなり幅広い浜辺であるのに船を付ける場所を探すのが困難なほどの混雑ぶりを示していた。

砂浜ではすでに部下を叱咤する隊長(イクサモリ)の声や馬の嘶きが喧噪を高めている。
船から落ちて波に落ちる者もあり、軍事物資を取り落とす者もある。
そこにはある種の緊張感が漂い、そして活気に満ちていた。

この有り様をじっと見物している目があった。

上陸行動の続く浜の奥には小高い丘があり松の林となっている。
その松の木陰から一人の少女が騒がしい水際の様子を覗き見しているのだ。
海岸からは彼女の姿は隠させていたが・・・
兵(ツワモノ)たちがその姿を一目見れば驚くだろう。
吹き抜ける潮風に長い黒髪がさらさらと靡く。
西に傾きかけた陽ざしを横顔に受け少女の大きな瞳がきらきらと輝く。
その眼差しは海岸の人々に注がれ、微かに揺らめいている。
彼女は右手に干し柿を持っていた。
口をもぐもぐさせていたかと思うと急にぷっと種を吐き出し、また干し柿にかぶりつく。
そんな動作も彼女がすれば妙に様になる。
それほどに美しい少女だった。

少女が干し柿の残りを口にしまいこむと松の木の上から男の子の声がする。
「姫御子。柿をもっと召し上がりますか」
上方の松の枝。
少女よりもいくつか年下と見受けられる少年が干し柿の入った袋の口を広げながら腰を降ろしている。
姫御子と呼ばれた少女は上を仰ぎみることもなく、右手を小さく閃かせた。
その手に新しい干し柿がふわりと落ちて来る。

そのとき少女の目が何かを発見したように大きく見開かれた。
同時に上にいる少年がつぶやきを漏らした。

「あれがイクサノキミか」
            
この耶麻人軍を率いる将軍(いくさのきみ)は大伴狭手彦(オオトモのサデヒコ)。
彼は既に上陸し、愛馬の上で兵の上陸を見守っていた。
だが姫御子と少年のいる丘の上からは人の顔などよほど目のいい者でも見分けられない。
にもかかわらず少年は言い足した。

「随分若い。兄様と幾つも変わらぬ年頃だ。それに身なりもイクサノキミらしくないや」

堂々たる体躯の狭手彦だったが、その身なりは質素で、衣袴に盤領の上衣と僅かな武具を着けているばかり。
それに比べて丘の上の少年と少女は派手な刺繍の入った韓の衣を無造作に着込んでいる。

少女はかすかに微笑んだ。

(つづき)→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2008-05-26

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