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さよひめ戦記535 002 [小説2]

もどる

イスルギのスガルが漁をしていた海上のわずか北東にあるマツラのカラの浜。
洋上には幾隻かの大船が停泊している。
その周囲には数え切れぬ小船が群がっていた。
長く伸びた海岸線に耶麻人王(ヤマトノオオキミ)の海の軍(アマイクサ)が上陸行動を展開しているのだ。
千艘を数える小船が浜にこぎ寄せ、万を越す軍人たちが軍馬や物資を搬出している。
かなり幅広い浜辺であるのに船を付ける場所を探すのが困難なほどの混雑ぶりを示していた。

砂浜ではすでに部下を叱咤する隊長(イクサモリ)の声や馬の嘶きが喧噪を高めている。
船から落ちて波に落ちる者もあり、軍事物資を取り落とす者もある。
そこにはある種の緊張感が漂い、そして活気に満ちていた。

この有り様をじっと見物している目があった。

上陸行動の続く浜の奥には小高い丘があり松の林となっている。
その松の木陰から一人の少女が騒がしい水際の様子を覗き見しているのだ。
海岸からは彼女の姿は隠させていたが・・・
兵(ツワモノ)たちがその姿を一目見れば驚くだろう。
吹き抜ける潮風に長い黒髪がさらさらと靡く。
西に傾きかけた陽ざしを横顔に受け少女の大きな瞳がきらきらと輝く。
その眼差しは海岸の人々に注がれ、微かに揺らめいている。
彼女は右手に干し柿を持っていた。
口をもぐもぐさせていたかと思うと急にぷっと種を吐き出し、また干し柿にかぶりつく。
そんな動作も彼女がすれば妙に様になる。
それほどに美しい少女だった。

少女が干し柿の残りを口にしまいこむと松の木の上から男の子の声がする。
「姫御子。柿をもっと召し上がりますか」
上方の松の枝。
少女よりもいくつか年下と見受けられる少年が干し柿の入った袋の口を広げながら腰を降ろしている。
姫御子と呼ばれた少女は上を仰ぎみることもなく、右手を小さく閃かせた。
その手に新しい干し柿がふわりと落ちて来る。

そのとき少女の目が何かを発見したように大きく見開かれた。
同時に上にいる少年がつぶやきを漏らした。

「あれがイクサノキミか」
            
この耶麻人軍を率いる将軍(いくさのきみ)は大伴狭手彦(オオトモのサデヒコ)。
彼は既に上陸し、愛馬の上で兵の上陸を見守っていた。
だが姫御子と少年のいる丘の上からは人の顔などよほど目のいい者でも見分けられない。
にもかかわらず少年は言い足した。

「随分若い。兄様と幾つも変わらぬ年頃だ。それに身なりもイクサノキミらしくないや」

堂々たる体躯の狭手彦だったが、その身なりは質素で、衣袴に盤領の上衣と僅かな武具を着けているばかり。
それに比べて丘の上の少年と少女は派手な刺繍の入った韓の衣を無造作に着込んでいる。

少女はかすかに微笑んだ。

(つづき)→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2008-05-26

さよひめ戦記535 001 [小説2]

001

風が舞っていた。
イスルギのスガルは小船の上に寝そべっている。
船には帆もなく、漕棹(オール)が一本あるばかりだった。
その漕棹も仰向けになったスガルの傍らに横たわっている。
船は粗末な造りで刳舟(カヌー)の一種である。
しかし、唐津の湊(カラツのミナト)から湾の内側での漁に出るためには
充分な舟である。
スガルはマツラの国の達者な泳ぎ手である。
一日でも泳ぐことができたし、日が蔭るほどの深さまで潜ることもできる。
船はただ獲れた魚を運ぶためのものだった。
いつものように朝から漁に出たので獲物は充分だった。
船にくくりつけられた編籠は魚貝で一杯である。
周囲にはサメの気配もない。
春の日差しはうららかだ。
スガルは銛を抱いて一休みしているのだ。
そうしながら獲物のことをぼんやりと考えていた。
「いいヒラメがとれた。うまいヒラメだ。
ヒメはヒラメが好きだからな。きっとよろこんで
笑うだろう・・・」

・・・獲物から連想したヒメの顔が浮かぶ。
スガルはたまにそうやって考えることが好きだった。
ヒメとヒラメ。言葉が似ていると気がつくと
思わず笑いがこぼれる。
「おかしいな。ヒメとヒラメ。今まで気がつかなかった。
ヒメの好きなヒラメ。ヒラメを食べるヒメ・・・」
・・・しばらくその連想を楽しんだスガルは浜へ戻ることにした。
昼餉にサヨヒメにヒラメをふるまうことに決めたのだ。
「ヒメは喜ぶだろう」
スガルはその考えに急かされるように漕棹をふるい、船を浜へと向かわせた。
海を渡る風を感じながらスガルはふと幼い日々のことを考える。
・・・あれは春ではなかった。夏だ。夏という季節を初めて知ったあの時。
照りつける日輪の輝きも、海辺の水の塩辛さもその夏から生まれた。
それはただひたすらに愛しく好ましいものとしての心に染み込んでいる。
かけがえのない素晴らしいものがこの世にやってきた記憶と一体になり、一層、あでやかにイメージされた夏。
それは今思えば、スガルが生まれて五度目の夏のことだった。
スガルはもうすぐ十九になるのでそれは遥かな昔の出来事だったが、まるで昨日のことのように鮮明な記憶がある。
夏が来る度にスガルがそれを思い出し、くりかえし、くりかえし胸に蘇らせたためであろう。
それほどにその日の出来事は愛しく大切な思い出であった。

長く家を留守にしていた石動の長(イスルギのおさ)が帰ってきた日。
       
見知らぬ幼い姫皇子(ひめみこ)を連れて来た日。
その姫皇子の名を小夜(サヨ)と教えられた日。
そしてサヨヒメのあどけない笑顔。

追憶をたどることに夢中になったスガルは背後の海原に船団の影が見え始めたことにはまったく気がつかなかった。

つづく

タイトルについてというタイトル [聖なる地獄]

そろそろ・・・なにか創作をアップしようと思うのだが
「おタクの恋2」はもう少し寝かせておきたいし・・・。

で、「さよひめ戦記」(仮題)を始めようと思った。

これは六世紀初頭の日本を舞台にしたファンタジーで
もちろん、元ネタは日本三大伝説のひとつ「松浦佐用姫伝説」である。
まあ、三大なのだが「浦島」や「羽衣」と比べると
マイナーなんだよな。
なぜかというと乙姫や天女と違って
小夜姫は実在の姫だからである。

実在の姫が伝説で
それをファンタジーとして再構築する・・・。
すでに思いついてから20年くらいたっている。

その間にタイムスリップもののファンタジーとか
ミステリの題材とかで
小夜姫はとりあげられるわけだが・・・。

まだまだキッドが思うほどの小夜姫は生まれていないのだな。

キッドがこれをしようと思っておそろしく時がたってしまったのは
・・・タイトルの問題なのだ。

最初のメモには「さよひめ傳」とあって
これはシンプルだけどインパクトにかける
それから「小夜姫伝」という漢字四文字のものがある。

「修羅海峡」というのもある。これは基本的には半島と列島の戦争ものでも
あるからだ。

「サデヒコとサヨヒメの物語」もう一人の主人公、大伴狭手彦を考えるとこれもある。

「鬼神伝奇さよひめ曼荼羅」・・・くどいのである。
このあたりになると「曼陀羅戦記サヨヒメ伝」とか
「鬼神史古大和海海戦」とかもうワケがわからなくなってくる。

そして・・・今もタイトルは未決定なのである。
仮題なのである・・・。
物語があって主題がない・・・そういう事態なのだな・・・。

だから・・・コレをやってみようと思ったのだ。

もう・・・仕方ない感じだからだ。

そういうわけで・・・いつ始まるかは予測不可能であり
更新も「おタクの恋」のように連日というわけには
いかないだろうし・・・。

とりあえる始める意志がある・・・
ということを書いてみたのである。


バーマ、ナガ、カヤー、ラチ、ラフ、アカ、アク、リス・・・。 [聖なる地獄]

流されていったのだ。

どうしてそんなところへいったのだ。

凶弾で倒れるためにいったのだ。

世界に人は66億人以上いて

どんどん欠けてどんどん生れて

だから大丈夫。

悲しむ家族は何人いたのだ。

どうしてそんなところへいったのだ。

食べるためにいったのだ。

懐かしい顔なのだ。

知っている人のような気がするのだ。

だからといって

何も変わらない。

何かをするわけでもない。

ただ心が疼くだけ。

どうしてそんなところへいったのだ。

それがさだめだったから。

すべての答えは決まっているが

答えを知ることはないのがルール。

ずいぶん、遠くへ行ったのだ。

どうしてそんなところへいったのだ。


暑さの記録更新で思い出すこと [聖なる地獄]

40.9℃で記録更新である。8月の国内の平均気温記録も塗り替えられそうだ。
首都・東京も暑いのである。
スマートな思考をしようとしてもできないのだ。

で、思い出すのは母のことだ。
老化した母は
毎年、「今年の夏ほど暑い夏はない」と言うのである。
猛暑であろうが冷夏であろうが無関係なのだ。
つまり、以前の夏の記憶が消去されてしまっている。
夏になれば生れて初めて暑い夏なのである。
こうなってはその夏ももう何度も訪れないのだろうな。
とにかく、母さん、今年の夏は本当に暑いですよ。

さて、小説『おタクの恋・ブログ版』をアップしてほぼ一ヶ月である。
実は未発表の『おタクの恋2』を即座にアップする計画もあったのだが
頓挫している。
現在、未完の小説『とがめ』も停滞しているし
また未発表のものを発表するというのは
いろいろと勇気のいることだし
そして何より・・・暑いのである。
毎日、趣味のドラマレビューをアップして
TBやコメントに応じていると
もう、それだけで小脳が加熱してしまうのである。

なんだかもうどうでもいいやあ。
プールで泳いで
それでいいじゃんかあ。

小学生のような思考しかできないのである。

とにかく、そういうわけで
九月になるまでは
更新もあまりない模様。

セプテンバー・レインレインが降ったら
きっとまた、何かするだろうと思います。

ま、生きているとして・・・。


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小説『おタクの恋』初版本について [聖なる地獄]

平成五年四月十二日発行である。
発行所 株式会社スコラ。
で、第一刷なので初版本なのだが、初版本しかないのだ。
まもなく会社がなくなってしまい
それきりである。
出版に際しては編集者の皆さんに大変お世話になっているのだが
最後にどこかで食事をして
十年以上会っていないのだ。
キッドが著者に代わって
「お元気ですか?」
とご挨拶しておきたい。

キッドはこの本以外にも
何冊かの著書があるが
「ま、ワリと満足したな」
という本はこれだけだ。
ま、逆に満足したのが
まずかったのかも・・・。
という想いはあります。

なんとなくこの本がかわいそうで
今回ブログという形式で公開してみることにした。
もちろん、著作権は著者にあるので
無断転載はお断りしたい。
無許可の営業目的での使用も不可である。
ま、そんなこと言っても
無駄な時代になっているような気がしないわけではない。

キッドの望みはただひとつ。
せっかく公開したのだから
一人でも多くの人に
楽しんでもらいたいと想うのである。

もちろん、場合によっては
不快になる方もいるかもしれません。

それについてはある意味知ったこっちゃないのですが
ご意見は素直に伺う覚悟でございます。

小説『おタクの恋 ブログ版』→http://blog.so-net.ne.jp/kid-blog/2007-04-11


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おタクの恋 ブログ版 10-10 [小説]

10-10

 彼の下着は大きく突っ張っている。
 二人は抱き合ってキスをする。
《怒張》
《硬くなったものが彼女の体にふれる》
《俺より大きい》
《俺と同じくらい》
《俺は勝ったと思う》
《僕はむけてることがうらやましい》
《彼女に見せろ》
《彼女に握らせろ》
《私は握るのが好き》
《私は嫌い》
《私はどっちでもない》
《私は見たことも握ったこともないけど見てみたい》
《晶、立派になったのう》
《彼女が舌を》《舌をからませて》《まじりあう唾液》
 彼は彼女の下着に手を当てる。
 柔らかな感触が彼の指先に伝わる。
《この感じ》
《濡れている》《感じているんだ》《彼女は感じている》
《いいな。いいな。いいな》
《でも少しこわいのよ》《でも体験したいの》
《私は痛かった》
《私はそれほどじゃなかった》
《私はまだバージン》
「明かりを消して」
 彼は照明を落とす。
 暗闇の中で彼女の下着を取り去る。
 彼女の体に手を伸ばす。
《私の方が毛が薄い》
《私の方が毛が濃い》
《私と同じくらい》
《どんな形なのか》
《見たい》
《見てみたい》
《クリトリス》
《日焼けの跡がまだ》
《夏休み、楽しかったね》
 彼も下着を脱ぐ。
《いよいよ》
《クライマックス》
《コンドームを忘れてはいけない》《いらないんじゃないの》
《最初は生で》《その方が》《神聖な感じ》
《外で出せばいい》《危険》《平気。ぬかりない基礎体温表》《彼女もパラノイア》

 それまで我慢に我慢を重ねていた疑似人格・夏沢慧がトラメガを片手に立ち上がった。

《みなさーん、お静かにしてください。二人はこれからいいところなんです》

 疑似人格たちはいっせいにシュンとした。
 彼は静かに彼女に身を重ねた。
「愛してる」
「愛してる」
 彼は彼女の肩を押さえ、一挙に身を沈める。
「あ」
「う」
 彼は彼女の中にあった。
 破瓜の痛みはかすかな脈動となって彼女から彼へと伝わる。
 二人はお互いのぬくもりを愛しく感じながらもっとそれを確かめようとお互いを抱き締める腕に力をいれる。
 すべての行為を終えて二人はうつ伏せになって肩を並べた。
 二人は見つめ合う。
 夏沢慧がささやくように海宮に尋ねる。
「先輩は将来何になるつもりなんですか」
 海宮は即座に答える。
「君を妻に持つ私立探偵」
 夏沢慧はクスリと笑った。
「私、何もかも見抜いていて事件を未然に防ぐ人が好きです。だけど」
「だけど?」
「少しは見て見ぬふりして事件を成長させてやるべきです」
「どうして?」
「その方が儲かります」
 海宮はしばらく考えて質問する。
「君はそういうタイプの医者になるのかい?」

(おタクの恋2 学園祭の女王殺人事件につづく)


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おタクの恋 ブログ版 10-9 [小説]

10-9

白い下着に包まれた豊かなバストが全員の視線にさらされる。
《キレイ》
《でかいな》
《形がいい》
《予想以上》
《お兄ちゃんってエッチ》
《ねえ、優ちゃん、俺たちもそろそろどう?》
《あ、影山、ホントに海宮の妹とつきあってるのか?》
《お前、年上願望はどうなったんだ?》
《結局、あれだよ、セックスに対する自信の無さが原因だからさ》
《和泉重子とやりまくって解消しちゃったのかあ?》
《ケッ、底の浅い奴》
《顔がイイからしょうがないのよ》
《屈折が甘くなるんだよな》
 海宮の手が伸びて夏沢慧の体からブラジャーを取り外す。
 夏沢慧はまっすぐ海宮の瞳を見つめ、かすかに震える。
《乳首がキレイ》
《ピンク色だ》
《いや、あれはピンクじゃなくてカーマイン・レッドに艶消しのホワイトを混ぜブラック・イエローを少々だ》
《形がかわいい》
《乳輪と乳頭のバランスがいい》
《あたしの方がツンとしてる》
《私の方が丸い》
《ワタシの方が色がいい》
《口にふくめば?》《しゃぶれば?》《舌の先で転がせば?》《早く早く》
 彼はベッドにもたれた彼女の乳房に顔を近づける。
 彼女がかすれた声で言う。
「恥ずかしい」
 胸に顔を埋めた彼の頭を彼女が両手でそっと抱く。
《温もりだ》
《無垢か、無垢なのか?》
《かすかな塩分》
《シャワーもあびないで》
《そんな必要ない》《彼女の分泌物なら》《ウンコでもきれい》《踏まれたい》
《変態》
《乳首が硬くなってきた》《感じているのか》《彼女が感じている》
《アタシも乳首は弱い》
《私はそれほどでもない》
《オレだって乳首は感じるぞ》
《海宮のアソコが》《はちきれそうだ》《あせるな》《あせってはいけない》
《思い出すなあ》
《ねえ》
《バブバブ》
「先輩」
 彼女に呼ばれて彼は顔をあげる。
 二人の目が合う。
「せつない感じです」
 彼が掠れた声で言う。
「ベッドへ」
 二人はもつれあうようにベッドの上にはい上がる。
 着ているものを脱ぐ。
 二人は最後の下着だけになった。

(つづき)→http://blog.so-net.ne.jp/kid-blog/2007-07-22


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おタクの恋 ブログ版 10-8 [小説]

10-8

 夜道に満月が輝いている。
 夜の東京は秋の冷気の中。
 その片隅を少年と少女が歩いて行く。
 藤井アリスのバースデー・パーティーは終わり、それぞれが帰路についた。
 海宮はあれ以来すっかりパーティーの常連と化している夏沢慧を送って海砂町までやってきたのだ。
 海宮の額の傷はすっかり癒えて傷痕もほとんど目立たない。
「先輩、背が伸びましたね」
「うん」
 海宮は身長一七八センチになっていた。
 しかしそういう夏沢慧も身長一六二センチになっている。
 二人は最初の出会いから仲良く三センチずつ成長したのだ。
「すっかり、遅くなっちゃったね。慧ちゃんのお父さんにおこられそうだ」
 夏沢慧は目に悪戯っ子の光を湛えて呟く。
「あのね。先輩、今日、父は出張なんです」
「へえ」
 疑似人格・夏沢父が少し怒ったように言う。
《岐阜へ。一泊するんだ》
 彼女は急に思いついたように言った。
「先輩、ちょっと寄ってきませんか」
 疑似人格・大嶺が二人の間から顔を出した。
《高校生らしい節度ある交際をだね》
 疑似人格・アリスが背後から両手でその口を塞ぐ。
《オーミネ、かたいよ》
「どうぞ」
「お邪魔します」
 海宮は夏沢慧の家の匂いに懐かしさを感じる。
「兄もいなくって」
「へえ」
 疑似人格・夏沢兄が恋人の肩を抱いて言う。
《ハハハ。彼女と北海道へ旅行中だよ》
「コーヒー飲みますか」
「サンキュー」
 お湯が沸き、彼女はカップとポットを持って海宮を促す。
「あの、ちょっと恥ずかしいけど、こっちが私の部屋なんです」
 夏沢慧の部屋のドアを開けると黒猫が飛び出した。
 夏沢が猫の名前を告げている。
 黒猫はニヤリと笑うとキッチンの方へ去った。
 海宮は彼女のいれてくれたコーヒーを飲む。
 彼女はCDラジカセのスイッチをオンにする。
《据え膳ね。これはもう据え膳状態ね》
 疑似人格・藤井アリスが囃し立てた。
《バージンだもんなあ。負けるよなあ》
 疑似人格・極楽寺夕香がくやしそうに言った。
 彼と彼女はコーヒーを飲み終わりキスをしていた。
 彼と彼女の心臓は激しく脈打っていた。
 彼の手が彼女の胸を軽く押さえた。
 その手の上に彼女の手がそっと重なった。
「君の胸が見たい」
《何が君の胸が見たいだよ》
 疑似人格・大嶺康生が口をとがらせた。
《じゃ、お前は見るな》
 疑似人格・浅生恭子が素っ気なく言った。
《見ます。見ます》
 夏沢慧はコクリと頷くとシャツのボタンに手をかける。

(つづき)→http://blog.so-net.ne.jp/kid-blog/2007-07-21


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おタクの恋 ブログ版 10-7 [小説]

10-7

 海宮は夜の東京を走り抜け、藤井のマンションの前でバイクを停め、見慣れたマンションの入り口をぼんやりと眺めた。
 大嶺たちはすでに部屋にあがったようだ。
 海宮は単車を駐車場に置いてマンションに入った。
 エレベーターのドアが開くと疑似人格・和泉重子が黒いドレスを着て立っていた。
《結局、あんた、死にたかったんだな》
《まあ、異常性格者が自己を貫くのは何かと大変なのよ》
《あんたが言うと実感あるね》
《ふつうの人間は世界に合わせて自分を変える。私は世界を変えることにした》
《あんたは異端すぎるよ》
《そうでもないと思うけど》
《原爆で東京都民全員と心中しようなんてふつうは考えません》
《一人では死んでいけないものよ》
《一人では生きていけないの間違いじゃないの?》
《死なばもろともの私。邪魔者は消せというあなた。それほどの差はないわ》
《‥‥‥議論は今度にしないか? 俺はフラフラだ》
 疑似人格・和泉重子は不満そうに唇を歪めるとエレベーターの床に吸い込まれた。
 海宮が部屋のドアを開けるとカレーの匂いがした。
 大昔のロック・ミュージカルのサウンド・トラックが薄いBGMになっている。
 部屋の中にはクラスメートが顔をそろえていた。
 海宮は室内にたちこめた強烈な自我の匂いに目眩を感じる。
「ウミちゃん、遅かったじゃないか?」
 ソファを半分占領した大男の大嶺がリンゴの皮を軍用ナイフで器用に剥きながら陽気な声で言った。
 テーブルには裸のリンゴが山と積まれている。
 その横で浅生恭子が本を読んでいた。
 その後ろには片瀬弓江、馬場冴子、中根孝平、沢崎拓也などが床に寝そべって大画面でビデオを眺めている。
「なんだ。パーティーか?」
「いいや、打ち合わせだよ」
「打ち合わせ?」
「水城夫妻の入籍記念パーティーだよ。ウミちゃん仲人するんだろう。でも打ち合わせの前にメシにしようってことになってさ。アリスたちはカレーつくってんの。俺はデザートのフルーツの係」
 そう言いながら大嶺はナイフを置き無造作に立ち上がった。
 大嶺の向かいのソファに腰を降ろし背を向けていた沢崎が振り返った。
 その目が見開かれる。
「ウミちゃん、血が」
 海宮は額に手をやった。
 手にはべっとりと赤いものがついていた。
 そのとき、夏沢慧がカレー用の大皿を十枚ほど抱えてキッチンから部屋へ入って来た。
 彼女は海宮の顔を見て、驚きを表すために皿を落としそうになったが、あやうく抱きとめて海宮に駆け寄って来た。
 彼女は慎重にテーブルの上に皿を置いてから海宮の額に両手を差し伸べた。
「先輩、どうしたんですか?」
 海宮は即座に答えた。
「玄関で転んだ」
 夏沢慧は海宮の首を掴むと頭を引き下げ強引に傷口をのぞきこんだ。
「あ、たいしたことないみたい」
「そう」
「でも消毒しなきゃ、藤井先輩、救急セットありますかあ?」
 そう言いながら夏沢は部屋の隅の電話を目指して歩き出した。
 キッチンから鍋を持った名取宏とサラダ・ボールを持った藤井アリス、そしてスプーンを束ねた極楽寺夕香が現れた。
 極楽寺は海宮の顔を見て満足そうな顔した。
「ほうら、血まみれだ」
 海宮は卒倒した。
 大量の血液が失われていたからだ。
 その体を大嶺が受け止める。
 同級生たちが海宮に駆け寄る中で夏沢慧は冷静に救急車を呼ぶために受話器に手を伸ばした。
 彼女は傷口を一目見たときから海宮の生命の危機を悟っていた。
「あの、転倒した場所に鋭利な刃物があったみたいで、かなり失血してるんですが、住所は‥‥‥」
《ほら、先輩。私も意外とやるでしょ》
 闇へと流れ込む意識の中で疑似人格・夏沢慧が囁いた。

(つづき)→http://blog.so-net.ne.jp/kid-blog/2007-07-19


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